牧師就任式

2000.08.20.


  岡村恒牧師牧師就任式 2000年8月20日(日)

8月20日(日)、大阪教会は新しい歩みを踏み出しました。
聖日礼拝には159名の会衆が集められ、
東京神学大学学長の松永希久夫先生の礼拝説教において、
神の御言葉によって背中を押されるようにして歩み出しました。
午後の牧師就任式と感謝会には、
大阪教会外の38教会119名もの方々が遠くから近くから、
共に神の御名を誉め称える為にお集まり下さり、
多くのお励ましと期待とをお寄せ頂きました。

就任式後の感謝会における岡村牧師の挨拶を一部掲載します。


岡村恒牧師挨拶 :

T. 感謝
 これまで、大阪教会の為に、また私の為にお祈り下さいましたことに
心より感謝いたします。
特に、1年3ヶ月の無牧(主任担任教師の不在)期間、
大阪教会出身の先生方はじめ、多くの方々にお支え頂きましたことに
感謝いたします。


U. 私の希望
 「私は『優れた伝道者になりたい』とか、
『大阪教会を一大伝道拠点として育て上げたい』などと
考えたことはいまだかつて一度もありません。
私が望むことは、この私自身が、
そして大阪教会が、あの洗礼者ヨハネの指になりたい、
この一点なのです。
 地上のわずかな旅路において、
人間に何事かをなし得るとしても、
それは主なる神の目からご覧になるならば髪の毛ひとすじを動かしたに
過ぎないのではないでしょうか。
神の国全体のスケール、
つまり「主イエスのみからだ」の時間的、
空間的広がりの前では、何一つ誇り得るものなど無いのです。
そうだとすると、地上を歩む私たちにとって最も幸いな業があるとしたら、
それは主を指差し、主のみ名を讃美することに他ならないのです。
 私は、十字架の主イエスだけを指さす洗礼者ヨハネの指になりたいのです。
主イエスを指さすだけの存在となり、
人々の目が主イエスに注がれたその瞬間に、
そこに指があったことなどすっかり忘れ去られてしまうような、
そういう指になりたいと心から願います。
 もとより、大阪教会は創立126周年を迎えた歴史と伝統ある教会です。
しかしその歴史と伝統は、2000年にわたるキリスト教会の歴史と伝統の
末端に位置するものです。
ましてや、天地創造以来の主なる神の救済史の中では、
ほんの一瞬の出来事に過ぎません。
 私は、いつも神の時間の流れにおいて教会を捉え、
終わりを見据えて地上を歩みたいと願っています。
その中で初めて、大阪教会の歴史や伝統も新しい意味を持ち、
主の御用の為にもっと豊かに用いられることができるのだと考えるからです。
ただ主にのみ栄光がありますように。


V. 私の確信

「私は今、この場所に立っています。その原因はたった一つです。
  主なる神が、私を召して下さり、私をここに立てて下さったからです。
 私は今、この場所に立っています。その目的もたった一つです。
  この地にあって、ただ主なる神の御名だけがほめたたえられるためです。

 今日この日、私はこれまでの歩みを振り返ります。
私がそこに見るのは、
主なる神が、今日この日の為にどれほどの恵みを積み重ねて下さったか、
ということです。

 今日この日、私はここに立って、これからの歩みを望み見ます。
主が、この大阪教会をお用い下さって、いったいどれほどのみ業をなして下さるのか、
地平線のかなたを見るような思いで、はるかに望みみます。
 そして私の信仰の目は、たった一つの場所を見据えています。
主イエスが、血を流して用意してくださった一つの食卓です。
 代々、キリストの教会がそうしてきたように、私はこの食卓を守ります。
あまたの信仰者が命をかけて守ってきた主の食卓を、私も守ります。
今だ地上を旅しながら、信仰によって天上にまで引き上げられる、
主の食卓を、私は命がけで守るようにと召された者です。
やがて終わりの日に、ここにお集まりの皆様と
ご一緒に主の食卓を囲む日まで。

 ただ神にのみ栄光がありますように。


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