グーテンベルク聖書

活版印刷を発明したグーテンベルクは
最初に聖書を印刷した。
この聖書は「42行聖書」と呼ばれ、
本文は当時のラテン語ウルガタ訳である。
これ以降、聖書は大衆に普及していった。



聖書は全て神の霊感を受けて 書かれたものであって
人を教え、戒め、正しくし、 義に導くのに有益である。

聖書テモテへの第2の手紙
3章16節より



その1 「聖書には何が書いてあるのでしょうか?」

キリスト聖誕2000年の今年暮れ、
東京で「東京大聖書展」が開かれます。
イスラエル政府から、今世紀最大の発見と言われる『死海写本』を
わざわざ借りてきての展示が予定されています。
主イエス・キリストの聖誕2000年を祝う時、
キリスト教会が考えたのは《聖書の展示》でした。
キリスト教会は、「聖書によって生きる教会」だからです。

それでは、「聖書」という書物には
いったい何がかいてあるのでしょうか?
日曜日の朝、「教会学校」で子供たちが歌う「こどもさんびか」に
次の様なさんびかが収録されています。
この曲は、「聖書とは何か」ということを明確に、
そして簡潔に述べています。(一部省略)

『聖書は天からきた手紙 神さまの言葉を伝えます、
 聖書は天からきた手紙 イエスさまのみ業を伝えます。』
                     (こどもさんびか 99番)

 この手紙が書かれた目的とその中身について私たちは、
『日本基督教団信仰告白』の中で、
一番はじめに次の様に告白しています。

 「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、
福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の正典なり。
されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、
全き知識を我らに与ふる神の言葉にして、
信仰と生活との誤りなき規範なり」。

聖書は、ただおひとりのお方を「証しする書物」だと
私たちの教会では信じています。
私たちがこのお方、主イエスを神の子、救い主と信じて、
「永遠の命を得る」ことだけが、
神さまがこの手紙をお与え下さった唯一の目的なのです。




その2 「神様って本当にいるのでしょうか?


神さまはいます。確かにいます。
しかし教会が信じている神さまは、
その存在を証明すべき対象であったり、
ましてや、どこにいる、あそこにいる、
などと指さして示すことができるような小さな存在ではありません。

聖書の記された「神さま」は、
天地宇宙をお創りになった「創造主」で、
「全知全能」のお方です。
「創られた存在」に過ぎない私たち人間には、
お創りになったお方を理解したり、説明したりすることはできません。
私たちが神さまの存在を証明することによって
神さまが存在するわけではないからです。
そうではなくて、神さまがおられて、
このお方が私たちをお創りになったのだ、と聖書は記しています。

神さまは「信仰の対象」なのです。
ですから、神さまがおられるかどうか、
が問題なのではなくて、
本当におられる神さまを人間が信じるかどうか、
がいつでも問題なのです。

そこで神さまは、私たち人間が神さまを信じることができるように、
ご自分のことをお示し下さいました。
神さまがいったい何をして下さったかということを通して、
神さまがどういうお方かを、私たちに伝えて下さいました。

そこで、神さまを知る、あるいは、神さまと出会う唯一の方法は、
「聖書を通して」ということになります。
ぜひ聖書をお読み下さい。
ただし、聖書が聖書として一番「正しく」読まれる場所は教会ですし、
聖書が一番「雄弁に」語る時間は礼拝の時間ですから、
ぜひ教会で行われる礼拝で、聖書を読んでみて下さい。
そこで神さまと出会うことができるからです。

ですから、聖書をいくら熱心に読んでも、必死で研究しても、
「幸せになる為に、私は何をしたら良いか」といった
ノウハウは一切書いてありません。そうではなくて、
「あなたが本当に幸せになるために、神さまが何をして下さったか」
とうことが書いてあるのです。
教会では、日曜日のたびに、
ただこの一つのことをくり返し読む為に礼拝をしています。